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2019/04/15 15:08

故郷の地震(記録として)

2016年4月14日21時26分
実家がある故郷熊本を地震が襲いました。

震度7を記録する大地震。

それまでは一度大きな地震が発生したら、
あとは最初の揺れより弱い地震が余震として発生するという知識をもとに、
実家の家族にはそのことを告げましたが・・・

二日後、また同じかそれ以上の強さを感じる地震の発生となりました。
まさか、前例のない地震が熊本を襲うとは。

二度来たものは三度来るかもしれない。。。
誰しもの脳裏にそのことが浮かんだのではないでしょうか。

実家にようやく足を運べたのは地震から1週間後でした。
熊本空港は地震直後には閉鎖されていましたが、
1週間後には航空機の離着陸が再開されました。

まず熊本空港の建物内部にて地震の痕を確認することが出来ました。
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その後、シャトルバスにて熊本市内中心部に向かい、実家に到着しました。

実家に到着して、改めて家族の無事が何よりも嬉しかったことを思い出します。
実家に帰ると、いつもまずは仏壇に直行するのですが、、、
納まっていた仏壇が前面に飛び出し、床にひっくり返っていました。
ビックリな光景でした。
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翌日、周りの状況や郷里の誇りである熊本城の様子を見に出かけてきました。
実家の建物の前はごみの集積場となっており、家業の店舗は一時休業状態でした。
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実家の建物の敷地と裏の土地のしきりになっていたブロック塀は半分が倒壊し、
以前は壁の為に見えなった駐車場が丸見え状態でした。
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氏神様として、生まれた頃よりお正月の参拝を欠かさずにいる天神様は・・・
石作りの鳥居は真ん中で割れており、
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境内のいたる所に地震の爪痕を見ることが出来ました。
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熊本城は実家から市電で約10分程度の場所に位置しています。
テレビなどで見ていた地震後の姿を肉眼で見たとき、
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胸が締め付けられるような、そんな感情になりました。
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立ち入り禁止の場所も多く、
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「武者返し」の異名を持つ有名な石垣も無残に崩れ落ちていました。
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熊本城にはいくつもの櫓があります。
ほぼすべての櫓がダメージを受けていました。
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門付近にある物見櫓も、、、
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2016年8月に帰省した際に、熊本市内の繁華街側から熊本城の崩れた石垣を見ることが出来ました。
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現在に残る熊本城の敷地を示す石垣の修復はかなり時間を要するようです。
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地震から2年後・・・
2018年8月に帰省した際に、熊本城を訪れました。
2019年秋のラグビーワールドカップ開催に間に合わせようと、
まずは熊本城天守閣の修復が進められていました。
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熊本城は「築城の神様」と呼ばれる加藤清正公によって築城されました。
清正公は今でも熊本城のすぐ横に祀られ加藤神社と名付けられています。
公はきっと熊本城の修復の様子を見守っているのでしょう。
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観測史上初めて震度7を2度観測した熊本地震。

4月14日で3年が過ぎましたが、
いまなお約1万6500人(約7300世帯)の方々が仮設住宅にいらっしゃるそうです。

熊本県は今年度中の仮設住宅解消をめざしていますが、
経済的な理由などで460世帯が住まいを確保する見通しが立っていない状況です。

また、犠牲者はこの1年で災害関連死が6人増え、
直接死と、地震で緩んだ地盤を襲った2カ月後の豪雨による死者を合わせて、
熊本・大分両県で273人にのぼっています。

熊本市は人口70万人をかかえる、九州では福岡市、北九州市に次ぐ第3の都市です。
震災後は復興も進んでいますが、大型の再開発によって光があたるものもあれば、
倒壊した建物があった場所は空地や駐車場となり、まるで震災の影のようです。
住んでいた方々はマンションに移り住んだりしていると聞いています。

上京して約30年になりますが、毎年2回は帰省しています。
今年の夏もまた熊本城の修復の状況を観に行く予定です。
このブログにて記録していきたいと思います。
ジャンル:中山のひとりごと。

2019/04/11 14:09

『論語』ブームがやってきます!

この度、日本政府は数年後をめどに一万円札の肖像画を渋沢栄一に変更すると発表しました。

一万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉に変更して以来となります。

渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれ、第一国立銀行や東京証券取引所、東京海上火災保険、帝国ホテル、田園都市(現東京急行電鉄)、サッポロビール、大日本製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれています。

また、日本赤十字社の設立、聖路加国際病院の初代理事長を務めるなど、実業界の中でも最も社会活動に熱心でした。
実業教育にも力を入れ、一橋大学や日本女子大学、その他にも多くの教育機関の創立にも尽力しました。

1926年、1927年の二度にわたり、ノーベル平和賞の候補にもなっています。

渋沢栄一は1916年に『論語と算盤(そろばん)』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出しました。

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」(『論語と算盤』)

渋沢栄一が幼少期から学んだ『論語』は、この度の一万円札の肖像画とリンクしながら新たなブームとなってくると思われます。

シンシアルハートの誠孝塾では、『論語』のエッセンスを参加者の皆様と一緒に学んでいます♬

もし、誠孝塾にご興味がある方は是非、弊社までご連絡下さい!

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ジャンル:中山のひとりごと。
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