元大横綱、大鵬の悲報
第48代横綱の大鵬(納谷幸喜氏)の悲報を本日Webニュースにて知りました。
日本の大相撲史上の名横綱として、その名を知らない者はいないと思います。
1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」
と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた横綱です。
私がまだこの世に生を受ける前に活躍していた横綱なので、
その雄姿・激闘を自分で観る事は叶わなかったけれど、
幕内優勝32回は歴代1位、未だに破られていない記録とのこと。
おそらく、今後も破られないであろうと言われている記録は、
入幕(1960年)から引退(1971年)までの12年間、
毎年必ず最低1回は優勝した記録。
くしくも、私が生まれた1971年が大鵬の引退年です。
昭和の大横綱、戦後最強の横綱と呼ばれる巨星だと思います。
大相撲会は平成初期で様々な不祥事を起こしましたが、
最近、ようやくかつての盛況ぶりを見せるようになったようです。
私は存じていませんでしたが、
大鵬の父親はウクライナ人、母親が日本人のハーフ。
そのパワーは明らかにウクライナ人の父親譲りで、
北の大地に育った強靭な鋼の肉体が大記録を作ったと察します。
大鵬の肉体は朽ち果てても、その名は永遠に残ります。
その道を極めた者のみが「死して朽ちず」なのだと、
改めて感じました。
御冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌
日本の大相撲史上の名横綱として、その名を知らない者はいないと思います。
1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」
と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた横綱です。
私がまだこの世に生を受ける前に活躍していた横綱なので、
その雄姿・激闘を自分で観る事は叶わなかったけれど、
幕内優勝32回は歴代1位、未だに破られていない記録とのこと。
おそらく、今後も破られないであろうと言われている記録は、
入幕(1960年)から引退(1971年)までの12年間、
毎年必ず最低1回は優勝した記録。
くしくも、私が生まれた1971年が大鵬の引退年です。
昭和の大横綱、戦後最強の横綱と呼ばれる巨星だと思います。
大相撲会は平成初期で様々な不祥事を起こしましたが、
最近、ようやくかつての盛況ぶりを見せるようになったようです。
私は存じていませんでしたが、
大鵬の父親はウクライナ人、母親が日本人のハーフ。
そのパワーは明らかにウクライナ人の父親譲りで、
北の大地に育った強靭な鋼の肉体が大記録を作ったと察します。
大鵬の肉体は朽ち果てても、その名は永遠に残ります。
その道を極めた者のみが「死して朽ちず」なのだと、
改めて感じました。
御冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌
ジャンル:中山のひとりごと。