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2013/07/18 23:45

「正」がなぜ「ただしい」と読むのか

「正」は、「一」+「止」です。

まず、「止」は足の形で、下部の「一」は“足のかかと”を表し、
上部は“足の指”を表しています。

つまり、“とどまった跡”や“足跡”と捉える事も出来ます。
誰の“足跡”かというと、聖人や古の賢人です。

次に、「正」の「一」について、これが一番重要です。
この「一」は、「ひとつ」や「いち」と読まず、「まこと」と読みます。

では、「まこと」と読むならば、PC入力で、単語変換でも出てきますが、
「まこと」を変換すると・・・

「誠」「信」「良」「真」「慎」「命」「淳」「惇」「諒」「周」「実」「充」
などが出てきます。

これらの漢字の意味するところは、全て「誠(まこと)」です。

『中庸』に「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり。」と出てきます。

人間は本来「善」であるとの考え方から、人の本性は「善」であり、
その本性に素直に従うことが人の道であり、天に通じるということです。

「誠」は「言」+「成」ですから、人が本性の「善」に随って、
言ったことを成す、言ったことが成る、という事が「誠」です。

最初の部分に戻りますが、「正」とは、人の本性である「善」に随って、
のこした足跡(人の道)が「誠」に適っており、
それが「ただしい道」「ただしい生き方」なのです。

そこを歩むこと、その聖人にならって、
足跡(正道)を歩んでいく事が「誠(まこと)」「一」に通じていく、
という意味から「正」という漢字が出来たと思います。

人の本性である「誠」に適っている言葉を人が話せば、
「信」(しん、「人」+「言」)になります。

「誠」に適った生き方ならば、天の道に適い、
「良」(よい)人生に繋がります。

「誠」に適ったものは、本物であるから、
本質的に「真」(しん)です。

「誠」の心は「慎」(まこと、「心」+「真」)です。

「誠」は天が人に与えたものなので、
「命」(いのち)そのものです。

「誠」であれば、本来の自然の道筋に適って
水流が「淳」(とおる、「水」+「享」)です。

「誠」でれば、心も通い、偽りのない真実なので、
「諒」(まこと、おもいやる、「言」+「京」)です。

「誠」がこの世の中をめぐっている、根本的、本質的には
「誠」が世の中をまわっているので、「周」。

「誠」を根本として、具現化されてくるので「実」。

「誠」が見えない世界、本質的・根本的なものを「充」(みたす)。

長文になりましたが、漢字にはもともと非常に深い意味があります。

ちなみに、全ての漢字は「一」をつなげたり、「一」を曲げたりしてできていますね!
ジャンル:中山のひとりごと。
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